Zanmemo

自分で使うと改善がはかどる一方で、ソースが目に付かなくなる

なんとか毎日、思いつくところであったり、目につくところを考えながらアップデートしている。

自分で使うと改善が進むのでいいのだけれど、とはいえ従来の怠け癖のためか、じゃあリファクタリングしようか、とかそういう部分に関しては「動いているからいいじゃないの」という感じになってしまうのは良くない気がしている。

そういうことを考えると、そもそもリファクタリングという行動自体が、何らかの強いモチベーションとなっているのだな、ということに気がつかされる。人間は、元々ブロックをAからBに動かすのも面倒くさいという場合もあるのだと思う。

汚さと未熟さ

基本的に、汚く書くのは簡単だ。それは「速さの面」からも言えるけれども、「未熟さの面」からも言えるような気がしている。例えば、自分はRails 4で始めてCoffeeScriptに触った。

もちろん、CoffeeScriptの熟練度なんて無しに近いわけだから、当然のことながら汚い感じになってしまっている。もちろん、CoffeeScriptなんてそんなに書いていないわけだから、汚いということがどういうことなのか、という問題があるが、「たぶんこういう筈じゃないんだよな」というのは、直感として解る。

別段、綺麗に書けというわけではなく、「そこそこに見られるコードを書く」というのは、熟練度の問題でもあるなあということに気がつかされた。そもそも、熟練したら「読めなくはないコード」は書けても、汚いコードは書けなくなる。料理人のまかないがそこそこおいしいのと一緒で、「なんかこんな筈じゃない」と思ったら、少し見直す必要があるのかもしれない。