Zanmemo

by esehara

RSS

New Memo

いい言語が必ずしも好きな言語であるとは限らない


考えてみれば、前提として「いい言語」が「好きな言語」みたいな風潮があるけれども、決してそういうことでない感じもする。

好きな言語

良い言語


一つの仮説としては、良い言語と思わせる部分としては一貫性があるということに尽きると思う。例えばRubyは基本的にはオブジェクト指向を崩そうとしない部分がある。それは同じようなスクリプト言語であるところのPythonと比較すればわかりやすい。Pythonの場合、どうしても突貫的なオブジェクト指向という側面は避けられない。


場合によっては、一貫性があることと簡潔であるかということはまた別問題のような気がする。本来、一貫性があるということは、ルールができるだけ一意に決まるため、簡潔になる側面がある筈なのだが、どうもそうではない部分も多い気がする。


Random Pickup

苛立ちを鎮める方法について考える。


プレビューナイトやってみたい


この「Zanmemo」にも、形だけのMarkdownプレビューをつけてみたのだが、意外と「なんか変だな」って思ったりもする。


プレビューの表示の仕方には、こういった両者を並列するタイプと、タブで切り替えるタイプがある。どっちがいいかは難しい。

確かに、リアルタイムで平行しながら、文字を打てるというのはとてもありがたい一方で、しかしこういうメモを書く人なんて言うのは、既に頭の中でMarkdownの記法を組み立てていて、だとするとDomのrenderが結構重い問題とかを考えると、そもそもプレビューなんて並列されてもうざったくて仕方ないので、自信のないところだけプレビューすればいいじゃんというのは、割と正当なことだと思う。他の人がどう考えているのか、割と知りたい感じだ。


機能が慎ましくあると使いたくなる

たぶん、「機能があればいい」ということではないんだろうけど、一方で、例えばMarkdownがリアルタイムでrenderされるとつい嬉しくなってこんなのとかこんなの修飾として使いたくなる。つまり、つつましく機能があればいい。

例えばリモコンのボタンは慎ましくなく、騒がしい。ボタンは出っ張っているので主張が激しいことを考えると、機能の慎ましさということを考えたほうがいいのかもしれない。慎ましくないというのは、いわゆる自分が何か出来るということを全面に主張することで、そうでないほうが良い。


つらいときに言いたい言葉を選ぶ

みたいに言うのも、自分に非が無いような口ぶりになるし、だからといって

といっちゃうと、自分は本当はダメになる気がするし、今頑張っていることに関して嘘をついていて真摯ではない気がするので(こういうところで変に生真面目になったりする……)、中間点として「生きるのが難しい」という言葉を選ぶようになった。


受動的攻撃性

この言葉を知ったのは割と前なんだけど、自分に当てはまるので、あまりにもドキッとしてしまい、以降結構気をつけている。Wikipediaの項目を見ると下のような感じである。

いやなこと、やりたくないことに対して、「いやだ」「やりたくない」と言うかわりに、わざとゆっくりやったり、忘れたふりをしたり、いわば後ろに引くことで反抗する。不機嫌な気持ちになると受け身的なやりかたで攻撃感情を表現し、あてつけや抵抗を示すために、対人関係に広く支障をきたしてしまう


自己診断的に

要するにはっきりと「否定」とか「嫌悪」を表明するのが苦手で、それ故に、それを「曲がりくねった形」で表明してしまう。


いい言語が必ずしも好きな言語であるとは限らない


考えてみれば、前提として「いい言語」が「好きな言語」みたいな風潮があるけれども、決してそういうことでない感じもする。

好きな言語

良い言語


一つの仮説としては、良い言語と思わせる部分としては一貫性があるということに尽きると思う。例えばRubyは基本的にはオブジェクト指向を崩そうとしない部分がある。それは同じようなスクリプト言語であるところのPythonと比較すればわかりやすい。Pythonの場合、どうしても突貫的なオブジェクト指向という側面は避けられない。


場合によっては、一貫性があることと簡潔であるかということはまた別問題のような気がする。本来、一貫性があるということは、ルールができるだけ一意に決まるため、簡潔になる側面がある筈なのだが、どうもそうではない部分も多い気がする。