Zanmemo

by esehara

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いい言語が必ずしも好きな言語であるとは限らない


考えてみれば、前提として「いい言語」が「好きな言語」みたいな風潮があるけれども、決してそういうことでない感じもする。

好きな言語

良い言語


一つの仮説としては、良い言語と思わせる部分としては一貫性があるということに尽きると思う。例えばRubyは基本的にはオブジェクト指向を崩そうとしない部分がある。それは同じようなスクリプト言語であるところのPythonと比較すればわかりやすい。Pythonの場合、どうしても突貫的なオブジェクト指向という側面は避けられない。


場合によっては、一貫性があることと簡潔であるかということはまた別問題のような気がする。本来、一貫性があるということは、ルールができるだけ一意に決まるため、簡潔になる側面がある筈なのだが、どうもそうではない部分も多い気がする。


Random Pickup

協力が必ずしも本人にとってプラスにならないゲームについて

Cursorsをやってみて感想だけれど、このゲームデザインは、協力することが自分の利益にならないというところが面白いところで、例えば新しいステージで、他のドアを自分が開けるか、他人に開けさせるかを選択させる場合、他のドアの前で漠然と立っているしかなく、それにしびれを切らした他のカーソルがドアを開けに向かったりする。社会という感じだ。

協力すると利益になるデザイン

協力すると別段楽しいわけではなく、協力することによって、自分が得するというデザインにする必要があるという当たり前の事実であるな、これは。


無難色というものがあるのではないかということを考えている


女性向けの製品がダサいピンクで作られてしまうという問題であったり、あるいは男性向け製品が黒色とか青色で作られてしまう問題というのがあるみたいだけど、このあたりの議論って「デザイン」というものは決して「格好良さ」で選ばれるものではないよなあ、という論点を見逃しがちだったりする。


一時期、それこそオタク界隈で「おしゃれな服装じゃなくて、無難な服装が必要なんだよ、最大公約数的な」ということが言われていて、これはある種の需要だと思うし、少なくとも自分のそういった「センス」を信じていない人たちは、「無難」なものを選ぶ傾向にあるんじゃないか。


ファッションのオシャレさというのは「最適解」なんだろうし、それがパワーゲームな感じで上がっていくことは理解できるんだけど、実際の需要の部分は「最大公約数」にある場合があって、そういうズレが大変だなあという感じだ


縁切寺と2014年頃のインターネット


無縁・公界・楽』を読んでていたら、「縁切寺」と「無縁」について書かれていて結構面白かった。

中世頃の日本では、離婚権が女性には無かったため、暴力的な男性から逃れるためには、そういった「縁切寺」と呼ばれるところに行くしかなかったとかかれている。


詳細はどうでもよくて、必要なのは「縁切寺」というのは、そもそも「縁が切れないこと(=繋がりを執拗に求めてくること)」に発端があるというところが、多分ポイントなんだと思う。妻を追ってくる男のことを想像すればわかる。

それはインターネットにも同じことが言えるよなーとか考えたりしていた。過去のことを掘り起こされたり、あるいは、執拗に「ソーシャル」を求めてくる中で、縁切寺みたいなのが必要なのかもしれないなーと思うと、それがMixiであったり、あるいはFacebookだったりするんだろう。

とはいえ、MixiやFacebookは囲いこみつつ、内部で繋がり合わせようとしているという点では、ある意味で「縁」が違うだけで(この本だと「公界」と呼ばれるものだと思う)、いわゆる「縁切」とは違う。


いま、他の先進国ではインターネットにおいて「忘れられる権利」という話もされているけれど、そういうものに近いものかもしれない。


たぶん、本来的にそういう「縁切寺」的なインターネットも必要なのだと思うが、人々は寂しがり屋なので、縁を切ったら切ったで、アマテラスのように、岩陰から出てきてしまうわけで、そう簡単にもいかないよなーとか考えたりしていた。(その一つの解答としてPathがあるんだろうけど)


架空のことわざ 『歯磨きをしない男とは結婚してはいけない』

これについては、イギリスにありそう。如何にも言いそうな言い回しである。罵倒語として「あいつは歯磨きすらしない男だ」ちという類似罵倒があるということにしたら良いかもしれない。


プレビューナイトやってみたい


この「Zanmemo」にも、形だけのMarkdownプレビューをつけてみたのだが、意外と「なんか変だな」って思ったりもする。


プレビューの表示の仕方には、こういった両者を並列するタイプと、タブで切り替えるタイプがある。どっちがいいかは難しい。

確かに、リアルタイムで平行しながら、文字を打てるというのはとてもありがたい一方で、しかしこういうメモを書く人なんて言うのは、既に頭の中でMarkdownの記法を組み立てていて、だとするとDomのrenderが結構重い問題とかを考えると、そもそもプレビューなんて並列されてもうざったくて仕方ないので、自信のないところだけプレビューすればいいじゃんというのは、割と正当なことだと思う。他の人がどう考えているのか、割と知りたい感じだ。


労働時間8時間の他に、自分を磨くための3時間を余計に見積もっておきなさい

Crean Coder』を読んでいたら、「労働時間8時間の他に、自分を磨くための3時間を余計に見積もっておきなさい」と書いてあって、なるほどなと思う。一週間にすると、40時間のうち、20時間は自分のための時間を持っているか、ということらしい。